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まだまだ知名度は低いのですが、鶴ケ城の桜はそれは見事なものです。
でも、決して自然に生えて来たものではないのです。
1992年、9ほど前の記事ですが、お孫さんをお持ちの現在でも元気に活躍中の小松さんですから、表題は、花咲「おじさん」です。
この方は実は、我がご町内の 「小松屋」さんです。
今回はご町内自慢でした。
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会津若松市の鶴ケ城公園のソメイヨシノなど約千本の桜が、今を盛りと咲き誇っている。シーズン中、十万人の花見客が訪れる桜の名所だ。が、その陰に三十七年間にわたって毎年百本ずつの桜の苗木を市に寄贈し続けている一人の市民がいることは意外に知られていない。
同市大町で毛糸店を経営する小松泰喜さん(六〇)がその人。小松さんは「花と苗木のまち」としても知られる新潟県新津市出身。昭和三十年、会津若松市の祖母の面倒をみるために会津へ来た。「花のあふれる街にして欲しい」と、翌春から毎年、故郷から取り寄せた桜の苗木を市に寄贈している。
当初「弘前の桜、水戸の梅に対抗して、若松と言えば桃と言われるように桃を植えるのはどうか」と申し入れたが、当時の横山武市長が「会津の武士道を象徴する桜が良い」と言い、桜になったという。
今年までに寄贈した桜は全部で三千七百本になった。鶴ケ城のほか、飯盛山や市内の小学校など各地に植樹されている。
昭和三十年当時、明治期に植えられた老木が細々と花を付けていた鶴ケ城も、小松さんが寄贈した桜などが育ち、一昨年には「日本さくらの会」の「さくら名所一〇〇選」に選ばれるほどの名所に。三十年前には太さが親指大ほどだった苗木が、今では幹周約三メートル、高さ二十メートルほどの大木に育ち、見事な花を咲かせている。
「子どもの顔を見に行くような気持ち」と言う小松さんは、今年も夫婦そろっ
て鶴ケ城を訪れた。「軽い気持ちで始めたら、もう三十七年。これからも生きいる限り桜を贈り続けますよ」と目を細める。花見客のけん騒の中で小松さんが静かに枝をながめる”我が子”との対面がこれからも続くだろう。
(1992年4月23日 「読売新聞」 記事全文) |
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