攬勝亭(らんしょうてい)とは

  攬勝亭(らんしょうてい)とは、会津若松市柳原町二丁目にあった日本庭園で、会津三名園の一つでしたが、2021年に惜しくも取り壊されました。

 戦国時代に、越後上杉家の一族、三条長尾氏が移り住み、館としたのが始まりとされ、取り壊し前には中世土豪館の痕跡も確認できました。

 攬勝亭の名称は保科正之公の命名と伝えられ、三代正容(まさかた)公による庭改築以降、歴代領主の鷹狩休息所に使われ、事実上藩営の庭となりました。

江戸後期には、樺太出兵、江戸湾防備に功績のあった家老丹羽能教(にわよしのり)が攬勝亭で晩年を過ごし、昌平黌教授安積艮斎(郡山安積国造神社出身)や奥羽列藩同盟で活躍した大槻盤渓が、攬勝亭ついての詩文を残しています。

 また、戦前には、晩年の与謝野晶子が訪れ、歌会が開かれました。 

諏方神社に移築した赤石石碑は、攬勝亭庭園に立てられていたもので、何であったかは未だ解明されていませんが、古来会津で特別視されていた門田赤石で造られており、何らかの宗教的意味がある中世遺物の可能性が考えられます。

 攬勝亭は取り壊されてしまいましたが、同じく門田赤石で造られ、蒲生築城まで鶴ヶ城内で信仰の対象であった「隠里石(かくれざとのいし)」が、諏方神社に安置されていることから、神社のお許しを得て境内に移築しました。

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